2012年5月23日水曜日

熱海のこばなし


熱海にお土産やを開いてから5日目
その間、阿多美屋のある銀座商店街の周りのお店の方々が
順番に様子をみにきてくださいます。

どう?どんなちょうし?
とか
見に来たよー!とか



ものめずらしいのか、面白がっているのか、いずれにせよ
お忙しい中ふらっと立ち寄って、その間にお話してくれる色々が
面白すぎてもう 皆さんと共有したい。

今日は酒屋さんの娘さんがふらりと立ち寄ってくれて
お酒について色々おしえてくれた。
今はお猪口といっても大きいけれど昔はこういう小さいのが主流(写真参考)
これで一二杯飲むくらいが女の人がほろ酔いになって色っぽいんだよー

とか

ある干物屋さんの若は、レコードと
レコードの上を走らせるバス(このバスはレコーダーになっている)
を持ってきてくれた。

倉庫をあさってたら大学時代に買ったのが見つかった!
電池が今も動くよって

これもってピクニックにいったらいいよなと思って買ったんだよね。って

今そのバスレコーダーはお借りして阿多美屋に展示中


もう1人の干物屋さんの若は
ブルーのエプロン姿で颯爽と登場。
熱海の黄金時代の資料などを見ながら過去のお話をしてくれた。

黄金期はこの通りは下駄の音で眠れないといわれてたんだぜ
毎日の売り上げをドラム缶につめて足でふまないと入りきらない・・・
くらいな感じだった  みたいだよ!?

とか

俺の子守唄は向かいのキャバレーの呼び込み
「キャバレー香港!キャバレー香港!」なんだぜ!

この若は熱海のブルー&レッドと呼ばれている
ブルーのほうらしいです。。。
(ご自分で言ってたんだよ)

とか

お隣の老舗の和菓子屋さんの若は 男前で着物をバリっときこなして
「彩姫」っていう最中を手土産にご挨拶くださいました。
この若、昼は和菓子屋、よるはなんとバーのマスター
そのバーは「彩姫」といいます。


くう・・・ 身もだえするくらい 素敵な方たちです。

マンガや小説のキャラ設定なんてたかが知れちゃってる。

何だろう・・・この感じ。。。

私たちが始めに街歩きをお願いしてお世話になったOさんも
熱海の最大の魅力は 人だといっていました。
意味がわかってきたなあ・・・

ちなみにこのOさんも最強にかっこいいです。
私たちのアイドルです。

色々博識だし、
街を歩くときにご自分の子供時代のいたずらなどの
エピソードも踏まえて説明くださるからこれがまたホントに面白い!

また案内してもらいたいなあ と 思うのでした。

以下、今回Oさんが寄稿くださった熱海に関する文章を載せておきます。

ああ 素敵 常春熱海!

ではまた!

・・・・・・


熱海は、海沿いの国道から海が見えません。
市内で火災が発生すると夜中でもサイレンが鳴り、
市内放送が流れます。喫茶店が多いです。
美容室も、ラーメン屋もすし屋も多いです。
飲食店、多いです。
まちのサイズにしては病院も医院も多いです。
市内には商店街が12もあります。
よく見ると隣のビルとつながっている家が多いです。
人口の割にタクシーが多いです。
ジョナサンは歩いていける範囲に2つもあるのに、吉野家も松屋もすき家もありません。
TSUTAYAもありません。
たばこをおいていないコンビニが多いです。
案外公衆電話をみかけます。
芸者さんの数は京都の3倍以上と日本一です。
ヨガ教室が多いです。
BARも多く、バーテンダーも多いです。
海が目の前なのに、生活に、海で時間を過ごそうとするような溶け込み方をしていません。
年配の方が多いですが、比較的身なりのきれいな方が多いです。
お店の人に話しかけると話が長くなることが多いです。
蛇口をひねると普通に温泉がでる家がたくさんあります。
お風呂にみかんの皮をいれます。
うわさ話やまちのゴシップがとても好きです。
自転車が流行らないです。
原付きが多いです。
糸川沿いにガス燈があります。
名水の柿田川や丹那の水を買っています。
東京電力の前身ができたのが明治19年ですが、
明治28年には熱海にはもう水力発電所があり電気がありました。
昭和42年まで初島には家庭用の電気がありませんでした。
熱海には見せる、観る資源が多くあります。
様々な事や物によって築きあげられて今のこの空気となっています。
熱海の第一の資源は「人」です。
気になることがあったら、私でもいいですし、まちの人に聞いてください。

ちなみに、熱海は大正9年に9mの津波でまちが壊滅しています。
そのわずか30年後の昭和25年に大火でまちが焼け野原になっています。

銀座の小倉